【婚活知恵袋】現代の呪縛

先日、ふらっと足を伸ばしてみた瀬戸内国際芸術祭で、結婚をテーマとする展示を見つけました。男木島や女木島に在住する夫婦を10組ほど取材したもので、簡潔な「出会いと結婚」エピソードを次々と読んでいくことができます。

さまざまなエピソードが並んでいる中、現代的な感覚を刺激するのが、

「親が勝手に結婚を決めたのでいやいやながら嫁いだ」
「大阪で働いていたときに親戚の間で結婚話がまとまり、いやいや帰島」
「親が決めて二人ともいやいやながら結婚」

といった高齢の夫婦に特有のくだりで、エピソード横に添えられた現在の円満な夫婦写真を見て安心したり、この展示には載らない不幸な結婚生活を想像したりと、良くも悪くも親族からの圧力が強い時代だったことをうかがい知ることができます。

ひるがえって現代に目を向けると、出会いの機会を求めて、みずからお見合いやパーティに足を向ける人たちがおおぜいいます。誰に強いられるわけでもなく、能動的に、です。

相手選択の自由度が高く、条件設定も自由自在、しがらみのない個人同士の出会いの場なら理想的な相手を見つけやすい、と考えるのは当然のことでしょう。

実際、そのようにカゼミチにやってきて、さっさと結婚相手を見つけてしまう人もたくさんいます。

一方で、なかなか相手を見つけられない人もいます。当人自身は明るく社交的で、誰にでも好かれるような人物であるにもかかわらずです。

そうした人たちは、相手から断られるよりも、自分から断ってしまう方が圧倒的に多く、一般的には「理想が高い」と言われるわけですが、相手探しがあまりに自由であるがゆえに、かえって迷走している印象があります。

誰からも強制されず、自分の意思や好みで、納得いくまで徹底的に探せる、と思えば思うほど、会う人数だけがどんどん増えていき、いつまで経っても結婚にたどり着けない。そんな人たちを見ていると、ある種の強制力が必要なのではないか、と思わないではいられません。また、当の本人も心のどこかでは誰かの後押しを欲しているのではないか、と邪推したくなるほどです。

俯瞰してみると、「家」の呪縛が薄れるにしたがって、「自己選択ゆえに自己責任」という呪縛が支配的になりつつあるようです。選択肢はいくらでも与えられているのだから、選んだからにはその決断に責任を持たなければならない、というのが、現代の婚活の過酷なところではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です