「お見合い」のイメージ

「お見合いという言葉に抵抗感がある」

 

独身の方に電話営業をしていると、しばしばこんな反応が返ってきます。まあそうだろうなという気がします。若い人の場合はとくに、自分の結婚をお見合いと結びつけて考える人は、少ないのではないでしょうか。

 

最近、夏目漱石の『それから』を読みました(ちょうど朝日新聞でも連載中ですね)。この小説の主題は結婚。恋愛結婚とお見合い結婚を対比するかたちで、お見合い結婚が批判的に取り上げられていました。

 

代助という青年は、自分の恋愛感情の赴くまま人妻との結婚に向けて邁進するか、父親が用意した打算的なお見合い結婚に不承不承応じるか、二者択一で懊悩します。このお見合い話というのが、代助の父親の実業に利するためだけの、結婚する当人たちの意向を考慮しない、典型的な政略結婚だったわけです。

 

いまどき、こんなお見合い結婚があるのかどうか知りませんが、私たちが「お見合い」と聞いてイメージするのは、これと大差がないかもしれません。なによりも家と家との結びつきを重視、当人たちはいながらにして不在も同然、恋愛感情など湧きようがない……等々。

 

カゼミチのお見合いは、もちろんそのようなものではありません。当人同士が1対1で会い、十分な交際期間を経て、結婚(あるいは、交際の継続)を決める、そのきっかけ作りこそがお見合いなのです。ご来社いただければ、冒頭の抵抗感も薄れることでしょう。お盆を過ぎて、猛暑もピークを過ぎたようです。外出のついでにでも、お気軽にお越しください。